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Takako Matsumoto Interview “FROZEN FIREWORKS SAYOKO YAMAGUCHI”




Text/ Translation/ Interview cut:Nao Kitamura

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1970年代からパリやニューヨークで数々のランウェイを歩き、「東洋の神秘」と称されたモデル・山口小夜子をご存知だろうか。彼女の活動は女優・舞踏家など多岐に渡り、その生涯を『表現』に捧げた。資生堂の広告塔として記憶している方も多いだろう。彼女は2007年、57歳で突然この世を去った。やがて人々は、彼女の生涯を後世に残そうと動き出す−。
2015年の秋に公開されて以来、数々の映画館で再上映されてきたドキュメンタリー映画「氷の花火 山口小夜子」が、2016年10月13日(水)~10月16日(日)に渡って埼玉県・彩の国シネマスタジオのスクリーンに蘇る。DVD化の予定がなく、現時点では今回の上映が最後だ。
今回は、「氷の花火 山口小夜子」の監督・松本貴子氏へのインタビューと共に、山口小夜子を振り返る。

クラウドファンディングで広告費を募集されたときに外国の方や若い世代に見て欲しいという背景があったと伺いました。なぜそのように思われたのでしょうか?

そういった方々に見てもらったらすごく刺激になると思ったんです。
小夜子さんのことを知っている若い世代の方は、相当ファッションに興味があるとか、モデルやってるとか。現役のモデルさんでも知らない人がいるくらいなんです。
ある意味埋もれてしまっているという感覚がありました。だったらそれを掘り出して知ってもらったら、みんな驚くんじゃないかと。それは彼女が錆びてないというか、今見ても新しいエターナルな要素を持っているから。メイクとか外見とかはもちろんだけど、生き様的なところまで永遠だと思うんだよね。気持ちをもって、前へ前へ行くところだったり、関心があるものに突き進んでいくところだったり。
だからこそ、成功した人や固まった人だけではなく、若い世代にも見てもらいたいです。

なぜ「氷の花火 山口小夜子」というタイトルを選ばれたのですか?

相当に悩んで、いろんな案を出したんです。
単純に「伝説のモデル山口小夜子」とか「美しいことは、苦しいこと」とか。今となっては笑えるものもあるくらいで。
ある時、構成作家の田代裕さんと映画の概要や小夜子さんについて語り、タイトルがなかなか決まらないというお話を振ったら、彼から「『氷の花火』はどうでしょう」というメールが来たんです。
このタイトルが決まったのは制作の序盤だったんですが、はじめはピンときませんでした。小夜子さんは冷たい印象がある人でもなかったですし。でも制作を進めていくうちにしっくりきたんです。小夜子さんの壊れそうな透明感と美しさがイメージできたんですよね。あとは、どうとでも取れるなというのもありました。見た方々それぞれに「氷の花火」を解釈してただきたいです。

監督は公私ともに小夜子さんとお付き合いがあったと伺いました。監督が小夜子さんと一緒にされた仕事で印象的なものはありますか?

NHKの「世界わが心の旅」という番組で一緒にモロッコへ行ったことです。藤原新也さんの写真集「七彩夢幻」に登場するベルベル人の女の子に会いに行く企画で、その写真集は小夜子さん自身が大切にしてきたものでした。小夜子さんは小さいときは人に見られるのが嫌だったらしく、「いつもチラッと人を見たり目を合わせられなかったりした、だからそんな目が澄んだ子に会いたい」と言って。
その村から去るとき、小夜子さんはすごく泣いてました。美しいものが大好きだから、その瞳に触れられたことが嬉しかったんだと思います。

個人的にも番組の中で小夜子さんが泣かれていたのが印象に残っているのですが、弱音を吐くことはありましたか?

泣いているのを見たことはもう一度ありました。
それは、女声ソプラノと同じ音域で歌うメール・ソプラノ歌手、オレグ・リャーベツのコンサートに行った時。公演が終わったあと「すごく綺麗だったねえ」って言って泣いてました。美しいときに出る涙があったんです。でもそれ以外には見たことないですね。

弱音を吐くことはなかったんですが、「中途半端に落ち込んじゃだめ」ってよく言ってました。「落ち込むんだったらとことん下まで落ち込んだ方がいい、そしたらガンっと上れるから。」と。
たぶん私たちが見ているのは上澄みからちょっと下までで、その下にあるものがすごく大きくて。葛藤とか努力っていうのが相当深いと思うんですよ。

小夜子さんは具体的にどんな努力をされていましたか?

具体的な期間はわからないんですが、伊藤道郎さんの「テン・ジェスチュア」というダンスメソッドは亡くなる直前までずっと習っていたようです。直感で良いと思ったものにはきちんとアクセスして習ってたんですよね。足を運ぶ手間を惜しみませんでした。私もいろんなものに誘われたんですが、ぶつぶつ言って断ったりもしてたんです。でも小夜子さんはとにかくいっぱい行ってましたよ。舞台も映画も舞踏も。映画の中でケイタさん(デザイナー・丸山敬太氏)もおっしゃってたけど、いろんなところから吸収してたと思う。本もたくさん読まれてました。
(小夜子さんの愛読書とVHSは記事の後半を参照)

小夜子さんは多くのことをインプットする分、アウトプットもされていたと思います。モデルとしては受動的でしたか、能動的でしたか?

最初、モデル事務所に入ってそれほどウォーキングの練習もしてなかっただろうし、その当時の日本って 百貨店のモデル歩きみたいな、ターンしてピッてきめるみたいなたぶんそんなものだったと思います。実際にコレクションで「歩いてごらん」とか言われて歩いてたんだと思うんだよね。そんなに練習してないと思うので、小夜子さんの言葉を借りると「服が教えてくれる」 。着たときの気分とか袖を通して真っ白になったときの感覚で動いてたんだと思います。
あとは数こなしてやっていくうちに服と会話して歩くようになったんじゃないかな。1970年代の髙田賢三さんのファッションショーのシーンで、ランウェイを歩いてる小夜子さんってすごく楽しそうで。あれが小夜子さんのありのままなんだと思う。「服着れて嬉しい」みたいな。モデルというよりは服を着ることを楽しんでいる小夜子さんでした。

受動的、能動的というよりは本能的という方が正しいかもしれないですね。
小夜子さんが人と接するときの雰囲気はどうでしたか?

とってもかわいらしいんです。はしゃぎながらコミュニケーションをとってることも。だけど、一歩近づくと半歩下がるような感覚がすることもありました。1時間話して仲良くなったと思っても、ふとした時にベールが降りてきてしまうというか。ベタベタするのが嫌なタイプだったんだと思います。「山口小夜子」という像で接している人と「小夜子さん」という像で接している人と分けていたんじゃないかな。

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亡くなられる直前は頻繁にお会いになっていましたか?

小夜子さんが亡くなられた年の8月はちょうど草間彌生さんのドキュメンタリーの編集作業が佳境に入っていたんですが、そのときに小夜子さんから電話がかかってきて。小夜子さんが「あのねあのね」って言うんだけど「今ちょっと草間さんのことで立て込んでるから、またひと段落したら連絡するからね」って説明して電話を切っちゃったんです。だからどういうことで電話をしてきたのかわからないまま、亡くなられました。
人って何もなくなってからこの世を去るのと、まだ自分が求められているときに亡くなるっていうのと、どちらが良いのかはわからないですけど、小夜子さんみたいに何かやってないと気が済まないような人がたくさんの仕事を抱えている中で亡くなったのは幸せだったかもしれません。もちろん口惜しいですが、ある意味充実感の中で亡くなったのかなあと。
自分に対する言い訳かもしれませんが、そんなことを思っています。

映画の中で小夜子さんと交流があった方々が「自分しか知らない山口小夜子」について語るシーンがありました。「監督しか知らない山口小夜子」を教えていただけますか?

願えば叶う人でした。ダライ・ラマに会ったりミックジャガーとのグラビアを撮ったり、沢田研二と一緒に踊ったり。良いと思ったものは、どんどん落として行ったというか。だからと言って会いたいアピールが強いわけでもなく、「会いたいなあ」とか言ってると会えちゃう。たぶんそれを知った人が呼んでくれたと思うんですが、それってなかなかないことだと思います。

映画の中で「永遠の小夜子プロジェクト」という小夜子さんを彷彿とさせる作品の制作風景が描かれていますよね。なぜオマージュをしようと考えられたんですか?

この映画は、過去の小夜子さんの話や過去の映像などが大半を占めていたんです。でも、過去の産物に留めず未来につなげたい気持ちがありました。
発端は、小夜子メイク考案者の富川栄さんと「小夜子メイクがどんなものだったか再現したいよね」とお話していたことです。誰かに小夜子メイクを施すだけでは再現に留まってしまうんですが、下村さん(写真家・下村一喜氏)やケイタさんと出会ってお話をしていく中で、新しい小夜子さんのような、何か新しいものをつくることができるかもしれないと考えたんですね。下村さんとかケイタさんに会ってなかったらそんな発想も生まれてませんでした。小夜子さんの背中を見て育った世代が、新しく作っていくステップが必要だったんだと思います。ひとつ大きな賭けではあったんですが、やってみようということになりました。

映画制作にあたって特に留意していたことはありましたか?
小夜子さんは自分で山口小夜子像を作り上げてきた人なので、小夜子さんをどこまで描くかがこの映画の中で命題でした。ドキュメンタリーにもさまざまな種類がありますが、今回は山口小夜子という人のイメージを壊さないようにしながらも、少しでも知ってもらい、なおかつ興味を持ってもらいたかったんです。だから、ギリギリの線はどこなのか常に気をつけていました。

読者へのメッセージ

とにかく、この映画を見て何かを感じて欲しい、ベタな感じだけど。こんな方がいたんだなあって思うだけでもいいし、何かを作っていったりするのって面白いのかなあとか、飛び込んでいったりするのって素敵だなあとか。どんな受け取り方でもいいから何かを感じて欲しいと思います。

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あなたはこの映画を見て何を思うだろう。
私は、この映画を観るまで山口小夜子という存在自体を知らなかった。ただ、新鮮な空気を吸いたくて、導かれるように映画館に足を運んだとき彼女に出会った。上映中、何度心が震えただろうか。年齢も国籍も肩書きも偏見も存在しない山口小夜子の世界。無垢で純粋で眩しい姿は少女そのもの。ただただ美しいものを求めていた。そうして、映画が進んでいくと共に山口小夜子という穴に落ちていく。
そしてふと思い出す。彼女がこの世にいないことを、触れられないことを、想いを馳せることしかできないことを。穴の中から光が失われたようにさえ感じた。
しかし、やがてそこに光が差す。山口小夜子という表現者が掘ってくれた穴をさらに掘っていく術を見つける。もっと正直になろうと、内にあるものを表面化しようと、見たいときに見たいものを見ようと、そう決意する。
今こうして記事を書いているのも山口小夜子なしにはあり得なかった話だ。

私だけではなく、多くの人々がこの映画に感銘を受けてきただろう。しかし、現時点では今回の上映が最後。これから先、彼女のことを思い返すことさえ難しくなってしまうかもしれない。息を吹き返した山口小夜子がまた静かに去ってしまうかもしれない。
だからこそ、今一度「山口小夜子」という表現者のランウェイを見つめて欲しい。必ずや、彼女があなたのところに来て何かを囁いてくれるだろう。

上映について
上映館 :彩の国シネマスタジオ
上映期間:2016年10月13日(木)-10月16日(日)
タイムテーブルは公式サイトからご確認ください。
http://saitamaeiga.campany.net/point/

映画の中に登場する小夜子さんの愛読書とVHS(一部抜粋)
愛読書
•「糸で縫いとじられた物語」寺山修司
•「砂の女」安部公房
•「薔薇十字の魔法」種村季弘
•「人間人形時代」稲垣足穂
•「踊りと身体の回路」小林正佳
•「美貌の青空」土方巽
•「西行」白州正子
VHS
•コクトー
•にごりえ
•ツィゴイネルワイゼン
•男と女
•父ありき

「氷の花火 山口小夜子」』(2015年/日本/97分/DCP/カラー)  
出演:山口小夜子
天児牛大/天野幾雄/生西康典/入江末男/大石一男/大塚純子/掛川康典/ザンドラ・ローズ/下村一喜/セルジュ・ルタンス/ダヴェ・チュング/髙田賢三/高橋靖子/立花ハジメ/富樫トコ/富川栄/中尾良宣/藤本晴美/松島花/丸山敬太/山川冬樹
山本寛斎
監督:松本貴子
プロデューサー:於保佐由紀
撮影:岸田将生
音楽:久本幸奈
音楽プロデュース:井田栄司
編集:前嶌健治
EED:石原史香
整音:高木創
制作・配給:コンパス
宣伝:ビーズインターナショナル
特別協力:資生堂/オフィスマイティー
助成:公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京
©2015「氷の花火 山口小夜子」製作委員会
賞歴
2015年度日本映画ペンクラブ 文化映画部門 第1位
第25回日本映画批評家大賞 ドキュメンタリー賞
平成28年度文化庁映画賞文化映画記録部門の最優秀賞受賞
第40回モントリオール世界映画祭 ドキュメンタリー部門正式招待
公式サイト
http://yamaguchisayoko.com/

松本貴子氏
日本初のファッションレギュラー番組「ファッション通信」の立ち上げに参加し、ディレクターを務める。山口小夜子とは番組の制作で知り合って以来、長年の間親交があった。
芸術家・草間彌生とも親交があり、「≒草間彌生 わたし大好き」(2008年)をはじめ、多くのドキュメンタリーを制作している。

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撮影:山崎エリナ


Do you know Sayoko YAMAGUCHI? From 1970s, she walked on the runway in Paris or N.Y. and get called “The mystery of the Orient”. Working as not only a model but also an actress and a dancer, she devoted her life to “expression”. Maybe, some people remember her being a muse of Shiseido.
Sayoko passed away at the age of 57 in 2007. After a while, people began to move to leave her life̶̶-.
The documentary film “FROZEN FIREWORKS SAYOKO YAMAGUCHI” which has been played at numerous theaters since autumn in 2015, is going to come back at Sainokuni Cinema Studio on October 13th (Thu)-16th(Sun).
This time I interviewed Takako MATSUMOTO,the director of “FROZEN FIREWORKS SAYOKO YAMAGUCHI”.

I heard that raised the ad rate in the crowd funding to spread this movie among young people and who doesn’t know Sayoko.
Why did you think that?

I think that this movie may stimulate them. There were a few young people who know Sayoko.I felt it was a pity. So I decided to tell people her life.
She was eternal in her policy. For example, she moved rapidly toward what she thought good. I wanted to tell such a thing.

Why did you name the movie title “Frozen Fireworks”?

I worried about it a lot.
One day, I talked to Hiroshi TASHIRO, an TV writer, about this movie and the concern. Then I received an e-mail from him. His mail said “How about “Frozen Fireworks”?”
This title was decided in the initial stages of producing the movie, so I didn’t sit well it with me. However, I came to feel it good through proceeding. I got to associate “Frozen Fireworks” with her beauty.

Besides, it is imagined a lot of meaning , so I want each people to interpret it.

I heard you had interacted with Sayoko between public and private affairs for many years. What job was memorable for you?

I went to Morocco with her for the TV program of NHK. It was the project that she goes and sees a Berber girl who appears in a photograph collection of Shinya FUJIWARA. Its collection was treasured by her. She said, “I want to see her pure eyes because I didn’t like to be seen by others and couldn’t watch them in childhood.”
When she left the village, she cried a lot for joy to feel a beauty.

I remember her tears. Did she cry so often?
I saw her tears only another time when we watched a concert of Oleg Ryabets, a male soprano. After his concert, she was crying for joy to feel a beauty. She cried such a situation.
I’d never seen her whining but she often said that it is wrong to get down half way so prefer to fall to the full when you feel it,and you shoot higher. I guess that there were her effort and conflict in “deeper place”.

What effort did Sayoko make?
She had been leaning the dancing method “Ten gesture” of Michiro ITO until she died. I saw she followed whatever she felt good on her intuition for example, a theater, a movie and a dance concert. Also she read. Like Keita MARUYAMA, a designer said in this movie, she inputted a lots.
I think Sayoko demonstrated a lot of things, because she acquired a lot. Did she work as a model actively, or passively?

The start, she didn’t practice of walking because she belonged to the general model agency in Japan. She said “The clothes tell me how to walk.”. Little by little, he might learn to walk talking with the clothes. Walking on the runway of Kenzo TAKADA in 1970s was what she was. there was Sayoko taking treasure in wearing clothes like a girl.

In other words, she was neither active nor passive, exactly instinctive. How did she communicate with people?

She was so cute. However, she sometimes go back a half step after go ahead a step. If I felt she became a friend closer after talking for many hours, suddenly she closed her curtain. Maybe, she didn’t like sticking to others. She might sepalated as “SAYOKO YAMAGUCHI” or “Sayoko san”.

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You had a close friend ship with her. Had you seen her frequently until she died?
I should have done it. In august 2007, I was busy directing the documentary of Yayoi KUSAMA. When I was on the way to Yayoi’s office, Sayoko called me to tell something but I just explained the reason why I couldn’t have time to talk with her and said “I’ll call back after this work has been finished!”. She died before I do it. I’ve never known what she wanted to tell me.
It may be happy for who has to be doing something like Sayoko to have died when she was needed and busy, In short, I consider she died in satisfying, perhaps it is an excuse for myself.

In the movie, people who had a relationship with her talks about “Sayoko only I know”. Would you tell me your one?

She made anything come true for example, meeting the 14th Dalai Lama, being photographed with Mick Jagger and dancing with Kenji SAWADA. Nevertheless, she had never spread her wish like those. She said in a low voice “I hope to meet him….” and it come true. Do you think it is one of her talents?

In the movie, there is the behind the scenes clip of the work “Sayoko project” that reminds us about Sayoko. Why did you do such homage?

I wouldn’t like to make the movie “past product” and link it to the future. Without this work, most of clips are past.
The first, I talked with Sakae Tomikawa, a makeup airtist(SHISEIDO) about reproduction “Sayoko make”. This idea spread Kazuki SHIMOMURA, a photographer and Keita MARUYAMA, as a result we got to the project. We Those who influenced by Sayoko like them should move a step through creating something neo, not new.This was a challenge.

What were you careful about moviemaking?
The issue was how depth we should dig the hole “Sayoko YAMAGUCHI” because she had created her image by herself. We want to know people about her much more and come to be interested in her but not to break her image and essence.
We are careful not to go over her line.

Message to readers
Anyway, I would like to feel something to see this documentary. You may leave the movie theater with her name, fun to create something and more. That’s right even you get something from Sayoko.

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How about this documentary? What do you think think Sayoko?
I hadn’t know Sayoko until watching this movie. Just, I wanted to breathe fresh air so I went to the movie theater. I don’t remember how many times I was touched while watching it.

There are no age, no border, no title and no prejudice in her world. She looks like a girl looking for something beautiful. Then I fell in the hole “Sayoko YAMAGUCHI”.
And I had to be reminded that she is not with me in this world, not be touched with me. I’m only able to admire Sayoko. I couldn’t find the light in the hole.
But before long, the light break through. I ‘m able to find a means to dig the hole deeper and deeper. I decided to be more honest, to express my imagination to see everything I want to see.
if she doesn’t exist, I can’t be here and write articles.
This movie has made not only I but also many people a profound.However this showing is the last. After this, it will be difficult to look back on her. She may left to the distant.
So I wuold like you to look the runway of Sayoko YAMAGUCHI. Certainly, She comes to you and whisper something to you.

Official Site
http://yamaguchisayoko.com/

Takako MATSUMOTO
Japanese documentary director

She joined the first program about fashion in Japan as a director.
She had been friends with Sayoko for many years. Also she has a relationship with Yayoi KUSAMA, an artist and made some documentaries about her.

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Photo:Erina YAMAZAKI